黒土地帯の悲劇【歴史】

十弧 ソ連 歴史
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最高ランク : 12 , 更新: 2019/02/22 9:15:28

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分断される社会!対話の欠如!広がる自国第一主義と攻撃的な発言!にっこり笑顔のイスラエル!世界の命運を握るとも言える大国の異変!民主主義の行く末は!どうするどうなるアメリカくん!
はい、十弧です。いよいよ例の中間選挙が迫って来ましたね。しかし私はだからなんだという感じでソ連について書き殴っていきます。資本主義はこうして限界を迎えるのであった……あ、前回の歴史コーナーの続きです。興味のある方は『暗黒の木曜日』という投稿を是非(露骨な宣伝)。

さて、皆様はウクライナという国をご存知でしょうか。最近だとウクライナ正教会独立の話が持ち上がっていましたね。クリミア半島のいざこざでも聞き覚えのある方がいらっしゃるのではないでしょうか。そうです、ロシアの隣国。あのウクライナです。今回はそんなウクライナという肥沃な黒土地帯に起きた大飢饉についてお話ししていきます。



今から八十年以上前の1933年、当時は大国ソビエトの中に組み込まれていたウクライナで大規模な飢饉が起こりました。
食糧不足から始まったそれは瞬く間に一斤のパンを求める人々の長蛇の列、餓死寸前の状態で物乞いをする者、通りを歩く浮浪児達、といった凄惨な光景を生み出しました。そこには確かに死の香りが蔓延しており、まだ生きている人々は道端で餓死していく人々をただ見ている事しか出来ませんでした。彼らもまた倒れていく人々同様、飢えに喘いでいたのです。

では、何故飢饉が起きたのか?飢饉、と聞いて思いつくのはやはり自然災害ではないでしょうか。江戸時代期における天明の飢饉、天保の飢饉といったものの主な原因は全て自然災害です。自然は時として人間の予想を遥かに超え、人々に容赦なく牙を剥きます。が、この飢饉の何が異常かと言うと、これが自然から受けた影響によるものではないからです。自然災害ではない……そう、つまり人の手によるものだったのです。


この悲劇が起こる発端となったのは皆さんお察し、あの同志スターリン。彼は1928年から32年にかけて「第一次五カ年計画」なるものを打ち出しました。教科書でも見覚えのあるこの計画。大雑把に言うと工業の重工業化や農業の集団化に重点を置いた計画です。
と、言ってもこれだけでは何が問題なのかいまいちピンときません。そこで、下記に私が勝手に選んだ「ウクライナ飢饉の主な原因」をまとめました。まあまあ分かりやすい……のか?

・強制的な農業集団化・それに伴う住民の強制移住
・容赦無い農作物の取り立て
・そもそも達成不可能なノルマという無理ゲー

まあ簡単に言えば無茶苦茶です。スターリンくん(5歳)が駄々を捏ねて要求した事を国家レベルでやるような無茶苦茶ぶりです。しかし何がどうなったのか、それが現実になってしまいます。ここにはスターリンくんの天才的とも言える権力掌握術が絡んでいるのですが、それはまたの機会に。
今回はこの三項に絞ってソビエト・ウクライナで起きた飢饉を見ていきましょう。


その一、強制的な農業集団化・それに伴う住民の強制移住

スターリンは共産主義という未来へ向けてアクセルを踏み込みました。それに必要なのは重工業の発展。さらにそれに必要なのは、大量の工業労働者を食わせる為の農作物と資金。外資獲得の為にも食糧の為にも農作物は必要不可欠。そこで目をつけられたのがこの肥沃な黒土地帯、ウクライナでした。

スターリンはすぐさま、必殺「階級としてのクラーク抹殺」のカードを切ります。クラークとは所謂富農の事で、自営農家を指します。農業集団化を目指すスターリンからすればなんとも厄介な存在。そこで彼はクラークという階級を消し去り、農民層まるごと集団農場に放り込もうとした訳です。
しかしこのクラークという概念。なんでそんなにガバガバなのってくらいにガバガバでした。クラーク抹殺の仕事を任された偉い人達が「あいつクラークな」って言えばもうその人はクラークです。こうして一方的にクラークのレッテルを貼られた人々は流刑か死刑か。どちらにせよ人間らしい扱いはされませんでした。

因みにこの「クラーク抹殺」。建国の父、レーニンおじさんも過去に同じような事をしています。ソビエト史の指導者を並べた時やたらとスターリンの残虐さばかりが目立ちますが、レーニンおじさんも割とマジもんの過激派共産主義マシーンだったのですね。やだもうこの人達。


そんな感じで軽く三万人を処刑し十一万人を強制移住させた果てに、集団化は一応形になります。とは言え農業に精通した自作農はクラークとして強制収容所に、農業において大きな労働力となる家畜は集団化の過程において「クラーク判定されたらヤバい」「どうせ取られるくらいなら」と考えた農民によって屠殺。当然生産能力は落ち、これが飢饉の一因となりました。
それを当時のウクライナ共産党員やスターリン自身が予想出来ていなかったとは考えにくいですが、スターリンは過去のレーニンのような妥協を許しませんでした(レーニンは国家の疲弊を改善する為、一時的にネップと呼ばれる市場原理を一部導入した政策を打ち立てた)。こうして彼が共産主義世界の為に推し進めた政策は生産能力低下、多数の死者、大規模な飢饉という悲惨な結果を招いたのです。


いやあ、思ったより疲れました。今回はここまで、次回以降その二とその三を解説していきたいと思います。しかし改めてスターリン氏無茶苦茶ですね。今のロシアではスターリン氏を尊敬する人が増えていると聞きますが、この辺りのヘマはどう解釈しているのでしょう。ううん、人間の心というものは分かりませんな。

さて、ではここらで。私はこれ書いてる途中に見事風邪ひいたので、皆様もどうぞお気をつけ下さい。だすゔぃだーにゃ。


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十弧


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