文學少女講義

短編小説 創作
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最高ランク : 6 , 更新: 2018/02/11 8:36:14

やァ諸君。私は芥子川詠一と云う者なのだよ。知っているという者も、中にはいるだろう? エー、今日は「文學」について話したいと思う。この時点で、この講義を聴きたくないという者は出ていってくれたまえ。私は聴きたいという者にだけ話をしたい。いいのかい? 出ていくなら今だよ。……誰も出てはいかないようだね。ならば君たちは皆、この講義を聴きたいという訳なのだね? ならば、聴くが良い。途中で居眠りなどしたら即、この講義は終了にしよう。

ゴホン。君たちは「文學少女」という言葉を聴いたことがあるだろうね? その名の通り、文學ーー主に小説、物語を趣味とする少女のことだ。「文學」の話と共に、この「文學少女」の話をしていきたいと思う。

まず、何をもって少女を「文學少女」と分類するかという話なのだよ。勿論、一ヶ月に一冊も本を読まないような少女を「文學少女」と云う訳にはいかない。だが、一ヶ月に一冊本を読んでいるからと云って「文學少女」と位置づける訳でもない。これは極めて難しい分類なのだ。ここではーーそうだねェ、「文學を本気で愛している少女」という位置づけにしよう。だが本気、という言葉にも難しさがある。そう、誰から見て「本気」なのかということだ。勿論、自分で「本気で好きだ」と云っていても、それは信じ難い。ならばどうするか。他人ーーそれも大勢のーーから見て、「あの子は本気で文學を愛している」と云われれば、それは嘘ではなくなる。普段の少女の行動を見て、少女の知り合いもそうでない人も彼女が本気で愛していると思えば、それは文學少女ということになるのだよ。

次に、何故少女は「文學少女」になるかという話だ。例えばーーそうだね、これを文學少女ではなくアニメを愛す少女の話にしたとしよう。つまり、文學少女がアニメ少女になる訳だ。このアニメ少女は何故アニメを愛すようになったのか。それは、単純に「アニメを見たら好きだったから」ということに過ぎない。偶然、または必然的に一度でもアニメを見たら、それが自分にとって「好きなもの」だった、というだけなのだ。
文學少女もこれと変わらない。親や学校の先生に読まされて、または学校の授業で、なんとなく寄った図書館で。偶然本を手に取り読んでみたら自分の「好きなもの」だったというだけのことである。つまりは、文學少女とアニメ少女は、アニメと文學という違いこそあれ、元は同じということが云える。自分にとって、何が好きなものであったか、という違いのみなのだ。ここまで、分かるかね? 分からないことがあれば質問してくれたまえ。え? アニメ少女は文學を知らないし、文學少女はアニメを知らない。元は同じとはどういうことか、って? なるほど。ではその話をしようか。

それはだね、先に触れたのがどちらかということなのだよ。小さい頃から本を読み続けていれば将来文學少女になる可能性は高い。逆に、小さい頃からアニメを見続ければアニメ少女になる可能性も高い。それには、やはり両親や友人などといった人間の環境も関係してくるのだ。アニメが好きな人の周りで育てばアニメ少女になる可能性は高いだろう? 要は両親の趣味、というのが関係することが多い。また、親は文學が好きだが、アニメ好きの友人に恵まれアニメ少女になることもある。まれに、それが上手く融合した「アニメ文學少女」というのも存在する。

ふゥ、疲れてきたかね? あと少しだ、最初に聴きたいと宣言したのだから、最後まで聴いてくれたまえ。さて、話は反れるが、「学者のインクは殉教者の血より神聖なり」という言葉を聴いたことがあるかね。ムハンマドの言葉なのだが……。その前に、ムハンマドという名前は聴いたことがあるか? ムハンマドは唯一神アラーの啓示を受けたとされる、謂わばイスラム教の開祖だ。まァそれはこの講義には特に関係ない。聞き流してくれ。「学者のインクは殉教者の血より神聖なり」簡単に言えば、「ペンは剣よりも強し」これと同じ意味である。こちらなら聴いたことがあるかな? 「ペンは剣よりも強し」というのは元々違う意味であったらしいが……まァ良い。今は言論の力は武力にも勝る、という意味で使わせてくれ。まさに、私の云いたいことはこの言葉に詰まっている。武力よりも、文章に表した言論の方が、強い力を持ちやがて政治もを動かすのである。

何が云いたいのかと云うと……そうだね、先ほどのアニメ少女の例でいこうか。アニメを愛しているアニメ少女は、やがてアニメのキャラを夢見て、それに憧れるようになるだろう。そして真似をするようにもなる。それの分かりやすい例が、コスプレというものだ。だが、いくらコスプレしたところでアニメのキャラになれる訳ではない。最終的には、アニメを創作する人や、原作を創る人、声優などに憧れ、それを将来の夢とするだろう。
それと同じように、文學を愛している文學少女は、やがて小説や物語の主人公に憧れる。しかし自分はその主人公になれる訳ではない。主人公の真似をすることしかできないのだ。そして同じように、文學少女は今度は「文學を創作する者」つまり作家などに憧れる。まァ、これには「図書館司書」などと云った例外もあることを忘れてはならないが。

そして! 先ほどの言葉だ。「学者のインクは殉教者の血より神聖なり」文學者のインクは武力にも勝るのである! やがて文學少女は文學者となり、紡がれた物語が武力に勝り、政治を動かす! なんて素晴らしいのだ! 文學を愛する文學少女が、政治を、國を、正義を、世界を制するのだよ! フフ、ハハハ、アーッハッハッ……ッ……ハッ、ハッ……ハハハ…………

狂った文學者の高笑いは、いつまでも続いた。



わたしは、ある講義を聞きに来ていた。わたしの好きな「文学」の話があると聞いて、興味本位で。講義をするのは持論の熱弁で有名なとある大学教授。その教授の話は、わたしも友人から聞いていたのである。

教授は自分の名を名乗り、噂通りずらずらと持論を重ねていった。わたしはと言うと、「文学」の話を聞きにきたというのに、教授の話は「文学と科学について」であり、全くと言っていいほど文学の話題は出てこない。特に科学に興味のないわたしはつまらなくなってしまった。メモを取ろうと持ってきたノートにも、まだ何も書いていない。途中で出ていこうとも思ったが、他の観客は熱心に話を聞いているようで、それも気が引けた。暇を持て余したわたしは、結局ノートに落書きをしていた。最初は本当にただの落書きだったのだが、熱弁する教授を見ていると、ある小説のアイデアが思いついた。ククク、とほくそ笑んでわたしは、周りが熱心になっているのを良いことに、その物語をノートに紡ぎ始めた。語り手は文学者の芥子川詠一。文学を熱く語る変人。大学教授の話が終わる頃、わたしのノートには一つの短編小説ができていた。タイトルは、「文學少女講義」である。



作中作とかやってみたかった( ˘ω˘ )
芥子川詠一(けしがわ えいいち)の語る文學少女講義は全て架空の物であり、誰もこんな話をしていないし、私自身こんなこと思ってはいないのであしからず。

À la prochaine!

妃有栖


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アヘン〜良き〜((あくたこって読んでまう((
芥子って名詞なのか、辞書で見たのかも!
作中作とか頭おかしくなりそうなの好き…
わかる×100!!久作の文体死ぬ程好き…語尾カタカナとか堪らんよね……!!!


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2018/02/11 11:11:54 違反報告 リンク