【長文】来歴とポケモントレーナーだった話①(過去話)

ポケモン
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最高ランク : 8 , 更新: 2022/01/13 0:10:57


これは

哀しき老人の

懐古話である

以下、ガチの自己満長文です。


第四世代:Pt~HGSS

僕は、ポケモンシリーズはずっとプレイしていた。元々ネットをよく使うキッズだったし、小5、小6あたりになると、ポケモン系の情報を漁ると「努力値、個体値、種族値」だとか、掲示板での「パーティ鑑定お願いします」や「フレンド対戦募集所」などの書き込みを目にするようになったし、気にするようにもなっていた。が、正直これらは、ムズカシイな...と思ってスルーしていた。
中学2年生の秋。ポケモンプラチナが発売した。オタク友達とも遊びあっていたし、やりこんでいた。そして、その友達たちと、ポケモンの育成、すなわち、上記の「努力値・個体値」等を気にする___いわば「対人戦」を意識したポケモンの育成、いわゆる「孵化厳選」をやり始めた。

僕が最初に育てたのはハッサムだ。なんの考えもなく性格はわんぱく、個体値はV箇所があったのか怪しい、努力値はAB252振り、技構成はアイヘシザクロ剣の舞高速移動と、わけのわからない技構成だ。意識する仮想敵もおらず、汎用性の高い努力値配分とはとうていいえない。プラチナ発売当時はハッサムのバレットパンチ習得が一番の話題といってもいいほどの強化だったのに、それをガン無視した構成。まあ、右も左もわからず育成をしたという次第だ。しかし、少し思い出深い。

それから段々「孵化厳選」をし始めた。当時は欲しい箇所に2Vが出て他がまあまあ個体値あれば満足、というくらいの妥協感だった。周囲もそれくらいで、時たま3V,4V孵化した報告をした友達には悔しい思いを抱いたりもしていた。当時、僕は「マイオナ」的なポケモンをよく育てていた。覚えているのはべロベルト、モジャンボ、キングドラ(こいつは当時ちょい中堅扱いか)、カブトプス、ドンカラス、ブラッキー、アブソル、ストライクetc...そんな趣味ポケモン達をマイペースに育てていた。ぶっちゃけた話、PT構成や環境に刺さるだとか、そんなことよりも、自由に好きなポケモンを育成していた。

当時はそういう風潮もあった。本編ソフトにはインターネット接続はできるもののランダム対戦をする機能がないから、ランダム対戦機能が搭載されているがゆえに、06年に発売したきりの「ポケモンバトルレボリューション」が未だに現役で使われていたし、発売して2年経過したころにようやくこの「バトレボ」を(対戦の為に)購入した。新たにポケモンを育成しては、よくこのソフトの「ランダム対戦」でバトルを繰り広げていた。
当時、「厨ポケ」といわれた高種族値ポケモンたちはどこか敬遠されていた。ガブリアス、メタグロス、クレセリア、ラティオス、サンダーといった準伝ポケモン等...。それで勝利してもプレイヤーの手腕じゃなく、ポケモンの性能のおかげだ、そういったポケモンを採用するのは愛がないだとか、そういう議論も頻発していた気がする。
後は、「乱数調整」の問題だ。これは、PC上の外部ツールを用いて特定の年月日にDSを設定して任意のタイミングで、そして特定の行動を用いることでポケモンのタマゴを孵化させると高個体値ポケモン、いわば6Vポケモンが孵化することができるというやり方だ。なんだかすごく危ないことを言っている気がするが、ゲームデータ改ざんの類ではない。というのも、DS上で行われていることは、年月日の設定を変えて、ボタンを押下してタマゴを孵化させるという通常プレイとなんら変わりのないことをしているからだ。
このことも、というかこちらの方が荒れがちな話題だった。倫理的な問題というか。正直なことを言うと、ぶっちゃけこの手法を習得してポケモンを育成している人たちに、憧れがあった。し、孵化厳選は僕は面倒だと思っているところがあったからだ。
まぁそういった界隈の諸々を横目に僕はポケモンプラチナをプレイしていて、それからしばらくすると流星のロックマン3が発売し、一時はこちらに構いっきりになった。(余談だがこのゲームも対戦要素の質が圧倒的に高く未だにプレイヤーがいるくらいだ)で、そんなこんなで時は流れる。
たまにGBCの銀バージョンをプレイし、いわゆる「3色パンチフーディン」を育成したりもした。この時代努力値を振り切るのが面倒くさすぎて当時の現役プレーヤーの根気すげぇ...と思い知らされた。僕は金銀版のポケモン対戦のプレイヤーでは(世代的にも)ないから、当時のプレイヤーの対戦環境の考察やPT記事、対戦動画を見るのは好きだ。


話を戻して中3。時は進んで9月12日。HGSSの発売だ。もちろんこれにもどっぷり浸かった、

↑プレイ時間は999「時間」です 999「分」じゃなくて。

いやもっといえば、このあたりからもう半ば人生を捧げ始めた。HGSSはゲームそのもののクオリティ・ボリュームもさることながら、過去作ポケモンの入手易化など育成環境も充実し、プレイしやすかった。当然のめり込み続けた。
さて、ちょっと時を戻して09年の夏。ポケモンには「WCS」なる世界大会がほとんど毎年開催されていて、そのゲーム部門の決勝戦の動画が当時話題になっていた。



https://www.youtube.com/watch?v=hovg1c6jxwI
(ごめんなさい直で動画貼ったらこれ以下の文字サイズおかしくなるからURLだけのせときます)


僕はこの動画を観て感動していた。大会に優勝した草薙昨日選手。この選手にカリスマ性を感じた。
同時に、世界を股にかけて大舞台でバトルできるというシチュエーションに憧れを抱いた。それに、この当時の決勝戦は日本人同士の試合。世界各国の強者がそろう言えども、日本人が上位になっているという状況が嬉しかった。(ちょっとナショナリズムはいってますね)
話をHGSSに戻す。発売後しばらくすると、翌年のWCS2010年のルールが発表された。これが、以降界隈で使われるようになる「GSルール」だ。
GSルール。見せ合いなしの4vs4のダブルバトルで、なんとこの4体の内2体まで伝説ポケモンを採用することができるという、大会用の特別ルールだった。
09年の晴れ晴れしい日本人選手の活躍に魅せられた僕は、このWCS2010ルールの対戦に取り組もうと決めた。しかし障壁となるのは、捕まえたらそれっきり再捕獲ができない伝説ポケモンの存在。これらのポケモンの個体値厳選がハードルとなった。(おい受験勉強は?)
そこで僕は、先述した「乱数調整」に手を出し始めた。最初は確か全主さんという方の個人ブログで起動時間などのテンプレが公開されていて、それを頼りに捕獲を頑張っていた。「PHS」なる乱数調整ツールや「エメタイマー」というツールを駆使し、数日間、四苦八苦してその設定でできるようにがんばった。すると...捕まえられた。





臆病6Vミュウツー。初期SEEDは0xD2140289、徘徊位置はライコウ30番道路、エンテイ42番道路。




初めて乱数調整で捕まえることができたポケモン。
ぶっちゃけ本当にうれしかった。このミュウツーと、それ以前に捕まえていたたまたま高個体値で確保していたルギアを軸に、
ミュウツールギアバンギラス@なんか という4匹でパーティを組んだ。


ちなみにこれ、確かルギアが追い風と壁張ってバンギラスが龍舞して岩雪崩で全抜きみたいなパーティだったと思う。
いや攻撃に時間かかりすぎて無理だろ。
そんなわけで、このミュウツーを採用した記念すべき最初のパーティは、低い勝率を記録したままあえなく解体。

ちなみに当時練習場として盛んだったのは「ポケモン攻略広場」なる攻略サイトだ。ここの「対戦募集掲示板」にGSルール用の対戦スレがあり、日夜対戦が繰り広げられていた。当時一、二を争うくらいのスレ消費数だったと思う。チャットのごとく誰彼構わず対戦募集と応募、対ありの書き込みで埋め尽くされる。そして時たま現れる界隈で有名な強者プレイヤー。スレが機械的に消費されていくので反応などはなかったが、そうなると内心身構えるプレイヤーなども多かったと思う。

以降、僕は次に次にとパーティの構想を練り上げていく。当時はテンプレ構成もいくつか確立されていた。マニュレック、オーガルンパ、ギラグロス、ホウオウバンギ、ノオーミュウツー、猿キア、猿ドーブル、ディアドーブル等々…
大抵のプレイヤーは先発をそういった面子で固定し、なんなら後発もテンプレ通りにしたり、あとは残りは自由枠的にポケモンを投入したりする。
が、僕は先発からなんとか独自色を出せないかと四苦八苦していた。今思えば素直にテンプレ使う期間も必要だったなぁと思っているが...
とはいえ、当時採用可能な伝説ポケモンはひととおり使ってみたし、組み合わせに合ったパーティ構成も考えていた。
乱数調整を覚えた当時の僕は、育成するのも楽しかった。使用するポケモン全てが理想個体!ぶっちゃけ、夢のように思っていたし、
そういうプレイをする「ガチプレイヤー」の仲間入りができた感があった。
時たまネットのどこかで議論される「乱数勢は~~」というモノ申す的な書き込みに対しては、内心ほくそ笑んでいたと思う「妬み乙wツール理解してできるようになるのもそれはそれで大変だし孵化厳選する時間節約できて合理的だろwそんなこと考える暇あったら素直に育成だの考察してる方が生産的じゃね?」と...直接書き込みはしないが。(嫌な奴だな)
WCS2010年は毎週の土日に各都道府県で地区予選が開催され、優勝トレーナーが日本代表決定戦に選抜されるという仕組みだった。当時は毎週末どこかで地区予選が開催されていたから、その度にアップロードされたバトルビデオを通じてポケモンの個体値、技構成、努力値配分などが解析されて研究対象となっていた。毎週末に界隈で話題が、環境が進む。そんな時代だった。
一方僕のリアルはというとまあ行ける範囲の高校を受験し内心ヒヤヒヤしながらもなんとか合格。これでも僕は中学の最後の定期テストは約120人中14番目辺りで、5教科合計点は自己ベストを更新し、ぶっちゃけ自己満足していた。しかし学力テストがだめだった。継続的な勉強をしてないってはっきりわかんだね。まあそんあこんなで、頭の中はいつもポケモンバトルのことでいっぱいだった。
僕の住む北海道は4月に予選開催。割と遅めの開催だった。高校に入学した初週かその次の週の土日辺りが開催日だった。
当時の僕のパーティは先発メガヤンマバンギラス、後発ギラティナパルキアというもの。前哨戦は一般ポケモン二体で相手ポケモンを削り伝説を含めダメージを与えアドバンテージを得たところで、攻防優秀かつパワーも安定して高い伝説ポケモンを後から投入し乗り切って勝つ、というスタンダードよりな発想のパーティだった。おそらく体感で6割~7割勝てていて、半年近いWCS2010ルールの取り組みの末、僕がひとまず落ち着いた自分なりの結論だった。

↑当時大会用に採用していたパルキア

懸念材料の相手は、主にディアルガ、次点パルキアを主軸とした「トリパ」系統のパーティ。さらにいえば、当時凶悪だったダークホールを使用可能なドーブルを組み合わせた「ディアドー」の組み合わせだった。
大会当日の朝、未だに盛んなWCS対戦募集スレで一度だけ対戦をし最終調整とした。これは無事勝利することができ、願掛けとしては十分だ!と思った。当時ネットで親交のあった人からも応援されて、緊張しいだがモチベーションは十分だった。
大会当日。ぼっち参加の札幌ドーム。対戦相手のパーティはあまり覚えていないが、初戦はカジュアルっぽいプレイスタイルのパーティだったから勝ったし、二回戦はガチっぽいプレーヤーのパーティだったがなんとか勝利。
そして第三回戦。きてしまった。ディアルガドーブルのトリパ。苦手だけどプレイングで巻き返す!!と思っていたが、
ダークホールはちゃんと命中する、トリックルームを貼られ、こちらは守るの時間稼ぎもうまくいかず、あえなく押し切られて...敗退。
そんなこんなで敗退選手となった僕は、その後の選手が並ぶ列から去り、会場脇で立ちすくむこととなった.......
ああ、本当に悔しかった...。
悔しさ冷め止まぬ僕は、憂さ晴らしをした。会場にはちらほらDSを開いている人たちがいた。
おそらく、ローカル通信で対戦をしているはずだと思いユニオンルームに入るとやはりその通りで、対戦募集をしているようだった。野良試合というやつだ。
そこで野良試合をしまくった。野良試合ではほとんど勝てたし、途中出くわしたディアルガドーブルの構築にも敗北の反省を活かしてリベンジを果たす(別プレイヤーだと思うけど)。本番でこれだけ勝てたらなぁ、と思わずにはいられなかった。
実はこの日、ある人に声をかけられた。北海道でオフ会の常連となっていたプレイヤーの方に声をかけられ、色々な話をした。
この方は仲間と参加していたらしい。その夜、大会の反省会の名目開かれた打ち上げ(飲み会)に参加した。
この時自分より二回りほど年上の方の過去のポケモン対戦環境話を聞いたり、界隈の話ができて、とても楽しかった。
ほとんどの方がアルコールを口にする中、僕だけここで飲んだいちごミルクのおいしさは忘れられない。
実生活を別にして他方で濃密なスタートと敗北の苦渋を喫した僕は、まあ典型的なオタク系高校生として、スクールカースト的にも冴えない位置で高校生活のスタートを切る。
しばらくして5月末。前々から誘いがあった北海道のポケモンオフ会に参加。人生初のオフ会参加である。オフ会内では09年ルールというレギュレーションだった。実はそれまで僕は、「バトレボ」で憂さ晴らしとして09年用ルールでダブルバトルを繰り返していた(伝説ポケモンを用いない09年ルールというのも当時需要があった)。乱数調整の手法を習得していたので、クレセリアやラティオスといった徘徊系ポケモンも難なく理想個体を調達でき、採用ポケモンに妥協はなかった。この頃の僕はもう完全な「ガチ対戦プレイヤー」で、始めたころの「マイオナ系ポケモン」を使う面影はなくなっていた。
 で、オフ会での対戦は上々の勝率を記録し、ベスト4という順位に収まった(参加者20人いないくらいだったか)。
個人的な僕の一時のポケモン熱はこれがピークだった。若年層で地元で強ぇプレイヤーなんじゃね?という「井の中の蛙」感の喜びに浸っていた。
以降のオフ会参加は、周囲の方が優しかったり色々なアプローチでポケモンをやっていたりの関係でなんかぬるま湯に浸っている感、という温度だったし、さらに言えばポケモンモチベ自体停滞し、(中学時代の)友達とはっちゃけて遊ぶことに躍起になっていた気がする。

↑僕のメインロム:ソウルシルバーの記録


第五世代:BW~BW2
2010年9月18日。ポケモンブラックホワイト発売。当然めっちゃやった。今でもこの作品のストーリーやテーマ、特にNのキャラ造形は大好きなんだがそれはさておき、ぶっちゃけた話、当初はあまり「ガチ」でやっていなかった。育成云々はもちろんしていたし、相変わらず乱数調整を用いて育成をしていたんだが、自分の「ぼっちプレイヤー」感がなんとなく空虚に感じたり、WCS2011は日本では震災の関係で中止になったり、まあそもそもダブルバトルのガチプレイヤー自体少なければ、札幌圏の同年代のダブルバトルガチプレイヤーなんてほんとに僕くらいだった疑惑がある。対外的要因もありちょっと冷めていって、僕自身はガンプラをエンジョイしていたり、普通に友達と遊んだり、部活(高校)でなあなあに楽しんだりするヌルい日常を(ヌルい自覚がありつつも)送っていた。
当時、やろうと思えばバトル環境はあった。どころか、インターネットで対戦していくにあたっては大いに開かれていた。それはポケモンBWからランダム対戦機能、そしてランキング戦、つまりレーティングバトル機能が実装された。そのこともあり、特にシングルバトルは界隈が盛んであり、シングルバトル史においてはここが一時の黄金期なのではないかとすら思っている。当時「PDW(ポケモンドリームワールド)」なる本編と連動するインターネットサービスがあり、ここでのミニゲームをクリアすることで本編に連れて帰れるようになるポケモンがいた。PDWを通じて入手したポケモンは「隠れ特性(プレイヤー間で「夢特性」と呼ばれる)」をもつ個体で通常プレイでは入手できない特殊なポケモンだった。またPDWを通じて入手できるポケモンは期を追うごとに増えていき、特性「あめふらし」をもつニョロトノや、「てつのこぶし」ローブシン、といった強力な夢特性を備えたポケモンが随時開放されて環境が動いていくという楽しさすらあった。それもあるし、ニコ生全盛期だった。もこう先生やライバロリといった有名プレイヤーはこの辺りにどんどん名が知れていっていたと思う。
「インターネットバトルでガチ対戦をして勝ち、ランカー上位を目指す」という環境が出来上がったこともあり、パーティ構成はいわゆる「ガチ」の面子が採用されることが当たり前になったし、乱数調整も普及したことで理想個体の採用はこの時期になると当たり前となった。
...時が進んで2012年6月23日。ポケモンBW2発売。

これもたくさん遊んだし、パーティもいくつか作った。が、レーティングバトルは(なぜか)しなかった。
<番外編・高校の冴えなさを振り返る>
今思えばこの時期、なんでレート勢じゃなかったんだろなぁ。ぶっちゃけポケモンの、それも対戦の、ダブルバトルのガチ話なんて周囲に(当然)わかる人おらず、そのことの寂しさが大きかったかもしれない。それよりか、リア充っぽく友達と和気あいあい出来たほうがよくね?みたいな発想。
...多分結果出来上がったのは、当時の僕は「キョロ充」だと思う。彼女作りたい!!作って見せる!!とイキりまくっていたが結局なんもなし。いくじなし。
高校の時の僕、正味人生ですげーーー中途半端。高1の終盤にガンダムの「戦場の絆」のガチプレーヤーなろう思ったが途中で金かかりすぎると思ってやめたし、ガンプラ作りこもうと思ったけど結局エアブラシ塗装や改造というところまでいかずスミ入れ部分塗装デカール部分塗装艶消しフィニッシュ程度なところで収まった(まあこれでも自己満足できてたけど)。一年生のはじめに美術部入ろうとしたけどビビって写真部に入部しぬるま湯につかり始める。二年生の時なぜか僕がクラスで一時期だけもてはやされて有名人扱いみたいになった(ほんとに謎)、でそれで増長してクラスの男子呼べるだけ呼んで実家で鍋パしたこととかもあったが今思うとなんかこれすげーハズカシイ思い出、その後僕元のスクールカーストに落ち着いた、陰キャ身の程わきまえろ!ちなみに覚えているのはそのあたりの時期、いつも僕に絡んでくれたイケメン陽キャT君が機嫌悪くしたときにぼそっと暗い声で「ナオなんかうざい 友達いない癖に」とか言われた記憶 かなりクリティカルで心に残っている。この時おろおろしてめっちゃガチでごめん...て謝った すぐに仲直りはした。
あとノロケじゃなくてちゃんとダメ話だからかくけど、僕が高3の時の夏あたり途中で入ってきた後輩の(2年の)女子がいた。ちょっと口数少な目だったりというのもあったし入部途中からだと何かと気まずいよなぁとか思って僕はめっちゃ気遣いまくった。段々しゃべれるようになってきたのか打ち解けてきてくれてるように思えて嬉しかったし僕にもちょっとした愚痴いったりとか毒のあることも言ったりとかしてくれるようになってくれてガチで嬉しかった たまに一緒に学校帰ったりしたし 一度だけ部活の集まりの帰りにこのとき街中で制服デートをした すげぇぎこちなかったけどいい思い出だ
言っちゃなんだけど両想いではあったと思う が僕は受験生ということでそんなでいいのかみたいな気おくれがあり告白とはいかなかった でそういうのもあって部活引退 後は大事もなく関係は自然消滅... まあそんなもんです!!
いい夢をみさせてもらったぜ...僕には~君を思い返す~日々で過ごしていける~(は?)
で 受験。推薦入試枠もらったけど志望校は落ちました。センターも受けたけど落ちました浪人しました。つっかえ!
浪人中にBW2まだプレイする。むしろこの時になって北米版B2を購入し英名色違い孵化乱数とか乱数調整に凝り始める。(ダメな奴すぎる)

↑北米版ROMで乱数調整して捕まえた色英名クレセリア
ちなみに2012年からWCS予選はインターネット予選という形式に変わり、数日間大会期間を設けて参加者間でレーティングバトル、その上位32名を全国大会出場者とする...という流れになった。2012年は300~400位くらい?(参加者数万人規模)、2013年に至っては正直覚えていない。というか2013はなんか今までプレイしていて一番プレイヤーが強く感じて途中で投げた。

それでもB2もプレイ時間カンストしてた。
時間のわりに実績が伴わなさすぎるんだよね、それ一番言われてるから

五世代編終わり。
一万字近くなってきたので②へと続けます

ナオ


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2022/10/14 10:38:18 ナオ 4 15

とりあえず いめろぐで絵のせてこうと思いまつ (とりあえずフィアちゃんの絵のせ...


たそ ver 0.98
2022/10/13 7:04:16 ナオ 1 13

お顔のかげとかチークとか目とかバケッチャキーホルダーの塗りとかなおします コロ...


たそ 色決め
2022/10/12 4:45:42 ナオ 2 10

要所こまい装飾とかもうちょい足す 紫色加えたいな~~~~ 色バケッチャちゃんを...



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