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十二国記 雑談
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更新: 2019/11/04 17:01:34

脳内が十二国記一色すぎて、米津さんの新曲のタイトル見てまっさきに六太の字(馬鹿)が思いうかびました。どうも雪華です。

十二国記の新刊の発売日が文化祭と被ったから、いつ買うかめっちゃ迷ってる。当日に買ったらまず間違いなく寝不足になるし、その状態で二日目の公演するのは絶対しんどい。
かといって文化祭完全に終わるまで我慢するのも辛いしマジで悩む。
あと一日目終わったあとに買って読み終わらなかった場合死ぬ。
ちょくちょく読むとか無理だし。
それにしても当日のテンションはやばそう。「先輩引退しちゃう泣」とかじゃなくて戴国があぁああ!!って泣いてそう、どんな内容か考えると怖いな。
まあやっぱり当日に買うのかな……。

あと、一応タイトルと表紙絵から新刊予想っぽいものをしてみたので後であげます。
新刊予想しといてなんですが、予想が当たってたら嫌なんですよ。なんか小野さんには私などの拙い考えの上をいって欲しいみたいな感情が多分にありまして……。

新刊発売までに既刊の考察をしたい。あと官吏の制度の図と人物相関図とかを作りたい。それから地図も。そこに移動した道筋とか書き込みたいな。

両しばとかそのへんの知識の整理ができてないからそこも補強したいし、戴国の乱の内容も自分なりにまとめておきたい。それから字関連。複雑すぎるよ……!
***
ほかに考えておきたいのは驍宗が傑物か否か。個人的には自分に賛同する仲間ばかりで朝廷を固めてる驍宗には、批判されることや失敗、挫折を受け入れられないところがあるような気がするので、傑物じゃない気がしてるけど。実際どうなんだろう。粛清のことを隠した(泰麒からも民からも)のが、どうしても彼らからの批判を避けたかっただけのように思えてしまって……。悪く言ってしまい申し訳ありません。

なんか新刊の表紙見て、店頭で予約してマジで十二国記読めるんだって改めて実感が湧いてきたと言うかなんというか、もちろん現実のことなんだけど、ちょっと今まで夢見心地だったみたいな嬉しすぎて信じじられないみたいな感情があったんだよね。ていうかもうとにかくほんとマジでヤバイって。

十二国記好きな人でニコ動に抵抗無い人は「手描き十二国記 ぴん」とかで動画検索して欲しい。マジで最高だから。
炉心融解は泰麒にぴったりすぎたし、ドーナツホールも成長後の泰麒感がたまらなかった。「故国喪失者」は広瀬視点なのがやばかった。本当に「魔性の子」過ぎたし、作った人の魔性の子への愛が感じられた(いや、全部の動画に感じられるんですけど!)
「あなたの名前は」は風の海の泰麒の心情と合いすぎてたし、最後がすごく良かった。

あとは「十二国記で花の名」もめっちゃ良い。こっちはコメありで見た方が良いと思う。右上にコメで原作でのセリフが書いてあるんだけど、それが秀逸すぎて、マジ涙ボロボロでる。

「幾千年」も好き。景麒の笑顔と芳、巧にやられる。祥瓊の苦笑が好きすぎた。

あと「The beast」を延の主従でやってたんだけど、マジ好きすぎた。感動。これ作ったのと同じ人が作った動画(それも延)もめっちゃ良い。

あとは「ワールドイズマイン」の陽子版。「心得てくれ」とか言ってる陽子が好き。絵はなくて歌詞が書いてあるだけなんだけど、その歌詞が本当に秀逸。これは作った人の愛がヤバイし、陽子が良い子、良い王すぎて見たあと「陽子マジ好き!! 十二国記読み返そ!!」っていう気分になれる。ちなみにガゼル(=やなぎなぎ)さんがワールドイズマイン歌ってる動画がYouTubeに上がってるんだけどそれも本当に最高だからぜひ聞いて欲しい。もう可愛すぎて砂糖吐くレベルだから。

ワールドイズマインは珠晶版も2つあって、どっちもいいのでぜひ!

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本読んでる時に話しかけてくる人とかありえないって思うんだけど、そういう事する人たちって「“本を読んでいる状態”を“何かをしている”と判断しない」のかもしれないって思った。
本を普段全く読まなくて、読書感想文などのときだけ読むという人たちにとっては読書する時間=至福のときという私の理論は全く理解できないだろうし、読書の優先順位がその人たちの中でかなり低いから、本好きな人版の予想値も低くなってしまっていて最初の判断に至るのかもしれない。
何もしていない状態の人に話しかけることをためらうなんてしないだろうし。

というか、そういう人たちにとっては「あなたと話すよりも本を読んでいたい」という気持ちがそもそも理解できないのかもしれない。

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阿部智里さんはわりと好きで応援しつつ20年後に期待しているんだけど、正直彼女の書いた本の宣伝方法は酷いと思う。

まず何とか賞を最年少でとった!っていうのが強調されてるじゃん。その宣伝文句が効果を発揮するのって最ももって数年ぐらいの短い期間じゃない?
若いっていうことも宣伝材料の人っつにしてるけど、若いって言って売ることができるのはごくわずかな期間でしか無いわけですよね?
そういう言葉が使えなくなったらどうするんですか?

それから「十二国記みたい」という言葉。正直最悪だと思った。内容を読めば、作者が十二国記が好きなことは伝わっても、十二国記と似ているかと言われたら否と答える人の方が多いだろうと分かるはずなのに、その言葉を用いたのは売れること、目先のヒットしか見ていないとしか思えない。

作家を伸ばそうとか育てようとかそういう感じではなくて、とりあえず今売上が減ってるからそれを早急に何とかしようとしている感じに思える。
そのやり方では結局次世代のロングセラー作家が生まれないからますます未来は先細っていくだろう。

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実用書好きと小説好きは絶対に一括にしてはいけないと思う。

実用書好きが何かをするための手段として本を読んでいる(読書に損得計算や意味を求める)のに対して、小説好きは好きだから読んでいる。

無駄だとかそういうのを言う前にもう小説の虜になってしまっている。

それから、十二国記は下手な実用書よりよっぽど実生活にも人生にも役に立つと思いますよ。

だいたい小説なんて作者の思想と意見と価値観の塊じゃん。頭の良い先人の思想を知ることに意味がないわけがあるか。

小説だって一冊の本からその作者が好きになって全作品を制覇し、その後はその作者が好きだったり影響を受けたりした作品に手を伸ばし……とどんどん広がっていきますけど!??

私は「この人文体がマジで好き」とか「なんて美しい日本語なんだ」などと思いながら日々小説を読んでる本好きなんですけど、実用書を読む本好きの方々にはそういう思いって理解されないのかもしれない。もし理解されないんだとしたら、実用書好きも本を読まない人と同じように私とは分かり合えないと思う。私にとってその点において実用書好きで小説を読まない人たちは本を読まない人と同じである。

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「地球温暖化は人間が二酸化炭素をだしすぎたせいではない」

もともと太陽の活動には、活発な時とそうでない時がある。
そして、今は太陽活動が活発な時期である。

つまり、気温が高くなっているのは「太陽活動が活発になったせい」であって我々のせいではないかもしれない。



しかし、地球温暖化が我々のせいで起こったわけでなかったとしても、二酸化炭素の排出量を減らすことは大切だと思う。
なぜかというと、まず、気温が上昇したら確実に我々人間は困る。だから、困らないように対策をしなければならない。
そして、その対策として二酸化炭素の排出量を減らすことが有効である。その上地球温暖化を食い止めるために行動できるのは人間だけだ。

対策の仕方は大きく分けて2つ。

1つ目が「上昇した気温に適応すること」
そして2つ目が「気温の上昇をくい止めること」

どちらか1つだけでは難易度が鬼なので、2つを組み合わせるのが良い方法だと思う。

1つ目については
・作る食物を変える(より南方のものにする)
・海面上昇に備えて防波堤のようなものを作る、他地域への移住をすすめる
などがある

2つ目については
・温室効果ガスの排出量を減らすことで、宇宙へ放出する熱の量を増やし気温の上昇を押さえる

のがいいと思う。




***
陽子の王としての資質には「安易に逃避に走らないという、良い意味での諦めの悪さ」というものがあるのかもしれないと思った。

『風の万里 黎明の空』で陽子が自分の弱さから逃げずに、もう無理だと諦めて政を投げ捨てなかったところは予王との違いだと思う。

そして月影でも陽子はすごく辛い目にあっても生き延びるということを諦めていない。

これってすごいことだと思うし、陽子の「諦めの悪さ」という資質は初めからずっと一貫しているから、それが陽子の王たる資質なのかもしれないと思った。

***
十二国では「麒麟が天意によって王を選ぶ」という王権政治?の形をとっているけれど、本当は「国民全員が絶対に選挙に参加する民主政治」なのかもしれないと思った。

この部分は「――――――」というブログからの引用ですが


新王は、見事に前王に足りなかった部分を補っている。
これは民の「前王はこういうところがダメだったから次はこんな王がいい!」という思いを完全に反映している。

つまり 「天意=民意 であり、麒麟が選ぶ王は、国民全員の意見をまとめた結果(最も)民の要望と合致した人だ」と言えるのではないか。

この仮説が正しければ、天に選ばれたはずの王が道を失ってしまうことも何ら不思議ではない。

そして、「なぜか王と麒麟の相性が良すぎる問題」も解決する。

これは、麒麟の性質が王に合うようになっているということは麒麟の性質が決まった時点で王がどんな人物かも決まっていなければいけないが、
そうだとすれば麒麟の性質が決まった時点で王が選べるはずなのに、なぜ選べないのか、という矛盾が発生してしまう というものだ。

これも天意=民意だとすると、国民が自分たちの国にあった王を望んでいるならば、
麒麟の思うことが民が思うことと同じであることによって必然的に麒麟と王の相性が良くなっている と考えられる。

たまに相性の悪いときもあるが、それについては民が望んだ王が自分たちの国と合っていないものだったのだろう。判断を間違えた民が多かったのだ。

国民の思うことと麒麟の思うことは同じだと書いてきたが、嵩里は戴の民の多くや歴代の泰麒(代麒)と違って穏やかな気性である。

この事例から、麒麟の王に対しての在り方は国民と同じだけれど、気性などについては、生まれ持ったものによる部分が大きいのではないかとも考えられる。
これについてはもう少し考えて納得のいく答えを見つけたい。
あなたも何か思うことがあればコメントで残して欲しい。





色々考えたが「麒麟が王を見つけられない期間」があることに関してはうまく説明ができない。
考えられる理由は「民が王を戴きたいと考えていないから」もしくは「民の要望を(十分に)満たせる人がいないから」の2つ。


また、これを考える上で、王を選ぶときに「その時点で最も良い人」を選んでいるのか「一定の基準を上回っている人の中で最も良い人」を選んでいるのかが重要になってくると思う。

前者が正しいとすると、麒麟が王を選べない期間が存在するのはおかしいので、後者が有力になってくる。

後者が正しいとすると、“一定の基準”というのがどんな内容で、どの程度の高さなのかが気になる。


国民全員が一定の基準を超えない期間が最大20〜30年続くことを考えると割と高い気もするが、失道した王たちを考えると意外と低いような気もする。

まず、失道した王が初めから全くの悪人だったことは登場したエピソードの中では無いので倫理観や道徳、常識を持っていることは基準を構成する要素の1つだろうと予測できる。

また「周囲の人と比べて抜きん出ていること、他と違う傑出したところがあること」も要素の1つではないかと思ったのだが、正直予王に周りと比べて傑出したところがあったとは思えない。が、彼女は、権にも贅沢にも興味を示さないという点において傑出していたのかもしれない。


そして、国民の新王についての要望は「政治に明るい王がいい」などというものから「勢いがある王がいい」「何もしない王でいい」など様々で必ずしも政治に携わってきた人で無ければ満たせない、というわけではないから様々な職種の人が王になるのではないか。
***蛇足編***
麒麟に自分の意思が存在しないのって悲しすぎるし、それじゃ景陽は絶対成立しないよ!! 辛い!
***
十二国記調べたい言葉
木生火
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雪華


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