最後の方は企画で使った木村さんについて長々と語ってるだけ

歴史を語り隊 イラスト 企画
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おはこんばんちわ。鯉城です。
企画の子のイラストが完成したんで載せる。

木村鈴四郎

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トプコンのカメラ頑張った。

徳田金一

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刀って意外と難しい。

当時の新聞から読み取れた木村中尉プロフ。

木村中尉のお父様曰く

・石川金沢出身
・9歳?の時に父と共に長野に引っ越す
・小学校の頃から負けん気で悪戯子供だった、手先が器用でよく周りを驚かせていた
・中学校の成績は優秀であった
・陸軍士官学校に入学
・卒業後砲撃科にいく
・軍に秘密で飛行機について研究
・軍にバレる
・「なんだ!お前飛行機に詳しいのか!そりゃ良かった」的な感じで、出来たばかりの航空科に転科させられる

同じ家の主婦からみた軍人時代の木村中尉

・寡黙で酒嫌い、甘酒さえも拒否
・知人が財で困るような事があれば、自分の物を質にしてでも助けてやるという風な人
・趣味は玉突きか写真くらい
・どんなに忙しくても、毎日午後9時前後には帰ってきて、一日も違った事はない
・自分の操縦の腕にあまりにも自信を持っているものだから、心配して注意した程

ネット資料からわかる両中尉

■1913年(大正2年) 3月28日■


この日陸軍省は貴族院議員と衆議院議員を対象に飛行機、飛行船の観覧会を青山練兵場で開催。

・9:30頃
ブレリオ式機→木村中尉と坂本少尉、
徳川式第三号機→徳田中尉と武田少尉、
徳川式第二号機→岡中尉が搭乗
所沢飛行場を出発し青山練兵場へ向かう。

・10:15頃
所沢飛行場からバルセヴァル飛行船が出発。

・10:23
木村中尉操縦、坂本少尉同乗ブレリオ機が二回の小円を描いたのち無事着陸す。

・10:33
徳田中尉操縦、武田少尉同乗の徳川式第三号飛行機が上空に姿を現す。

・10:50
続いて岡中尉の徳川式第二号飛行機が現れ、両機共に見事な空中滑走の後無事着陸す。

・11:00頃
バルセヴァル飛行船が青山練兵場上空で風に流され、着陸用ケーブルが市街電車の送電線にあたり、高圧線を切断。吊舟が電柱に衝突,鋼製プロペラ・ラジェーターを破損し葬場付近に墜落。
搭乗員は怪我は無し。

・11:24頃
徳川式二号機に岡中尉、三号機には阪元中尉が搭乗し所沢の基地に向けて出発

・11:30頃
木村・徳田両中尉の搭乗するブレリオ機が青山練兵場から飛び立つ

・11:59
所沢飛行場より東の上空にて、悪気流により翼たわみ線を切断し操縦不能。
墜落状況図のように錐揉み状態で空中分解しながら墜落。

木村中尉は顔面をスロットルレバーにぶつけ顔面粉砕で即死。四方に肉が飛び散る惨害。
徳田中尉は木村中尉の膝に被さった状態で発見されたが胸部を強打により即死。胸は紫色に染まる。また右足のズボンが機に引っ掛かったらしく破けていた。

・与謝野晶子が日本初の航空殉職者:木村、徳田両中尉の殉職を弔う15首を書く

・大正三年三月二十八日
木村・徳田両中尉殉職一周忌にやまと新聞社主催の下、墜落地で両中尉銅像記念塔の除幕式が行われる。

・二人は日本SFの祖といわれるSF冒険小説作家・押川春浪を中心としたバンカラ社交団体「天狗倶楽部」のメンバーでもあり、さまざまなドタバタを演じては仲間を笑わす人気者だった。

・ある年の「天狗倶楽部」懇親会は、上野の「丸万」という料理屋で開かれたが、メンバー一同、食事をしながら座り相撲をやるなど、いつもながらの大騒ぎ。すると店から苦情がでた。「よしそれなら相撲が取れなければ文句あるまい」と立ち上がるや、掛け声もろとも、畳の裏返しを始めた。いや、その早いこと。見る間に十数を裏返しにし、歓声をあげて引きあげた。

(寡黙な木村さんは多分そんな事はしないと思うので恐らく徳田さん「待って決めつけとか酷い」)

調べて今わかってる情報はこんな感じ。

木村さんの結論:いい人過ぎかよ

木村さんの情報はwikiにはなくて、新聞調べれば、かなり出てくるんだけど、逆にwikiに乗ってる徳田さんは情報が少なくて辛い。
性格とか。

結婚してて子供が何人か居て、事故当時奥さんのお腹の中に赤ちゃんが居たっていうのはわかってる。
でも奥さんと赤ちゃん抱いてる写真見る限り優しそうなんだよなぁ。

…はい。妹が遊ぼう遊ぼう煩いので遊んできます。
今日はこの辺りで。


では!

鯉城


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