起源は? 長谷川嘉俊
長谷川嘉俊 サッカー ワールドカップ更新: 2018/06/19 0:45:32
起源は? 長谷川嘉俊
フランスを中心としたヨーロッパの7か国が1904年にFIFAを設立したとき、その第一の目的は「国際選手権」を開催することであった。ただ当時は、各国代表チームの大会ではなく、各国の国内チャンピオンクラブを集めた大会が構想されていた。しかし、この構想は実現しなかった。1905年に大会規約を決めて参加国を募ったが、申し込みは皆無であった。設立まもないFIFAは、強力なリーダーシップも、大会を開催するための資金的裏づけもなかったのだ。そのうちに第一次世界大戦が始まり、ヨーロッパ全土が戦火に包まれてしまった。
第一次世界大戦後、1921年に第3代のFIFA会長に就任したフランス人ジュール・リメJules Rimet(1873―1956)は、1924年のオリンピック・パリ大会で南米の小国ウルグアイが優勝するのをみて、「懸案の世界選手権が南米で開催できるかもしれない」と直感した。リメが考えたのは、プロが参加できる代表チームによる世界選手権であった。それまでも、独自に選手権を開催できないFIFAでは、「オリンピックを世界選手権として認めてはどうか」という議論が繰り返し行われた。しかしオリンピックには、プロは出場できず、それでは、真の世界選手権といえない。リメはスポーツ人というより外交官であった。彼は精力的に各方面を説得して回り、1928年にアムステルダムで開催された総会で「FIFAの全加盟国が参加する大会を1930年に開催する」ことを決めた。この年のうちに大会の正式名称が「ワールドカップ」と決められた。
1929年にバルセロナで開催された総会では、大会の骨子が了承され、第1回大会の開催国が選ばれた。6か国の立候補があったが、1930年に独立100周年を迎えるウルグアイがその祝賀行事の一環として大会を開催したいという提案を出し、他の候補国が立候補を取り下げ、全会一致でウルグアイ開催が決まった。しかし実際に大会が近づくと、ヨーロッパ各国は尻込みをするようになった。リメは自ら各国を説得して歩き、ようやくベルギー、フランス、ルーマニア、ユーゴスラビアの4か国が参加を了承した。ヨーロッパ各国が出場を渋ったのは、当時の交通機関の問題があった。大西洋を渡る旅客機の定期便はなく、チームは2週間の船旅が必要だったからである。それは冒険であるだけでなく、大会期間と準備期間、そして往復の船旅をあわせて1か月半にもなる休暇をとることのできる選手を20人も集めることは至難の業であった。
1930年6月21日に南フランスのビルフランシュ港を出発した「コンテ・ベルデ号」の船上には、ヨーロッパから参加した4チームの選手団と、黄金の優勝カップをだいじに抱えたリメの姿があった。こうして、ワールドカップはようやく船出した。
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