虫の日記 2月19日(月) 明るい雨

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プチ遠藤の言葉を思い出したのは、彼女に出くわした直後でした。
・・・最近になって誰か家にいる気配があって・・・
家に入るとすぐに、その荒れ具合に驚きました。
思わずバッグを落としました。中の食料がグチャリと潰れ、CDも何枚か割れる音がしました。
緊張の中にありながらも、いよいよ死ぬしかないと思いました。
無造作に上がり、居間の方へ行ってみました。
そこには、かつて無いほど狂気に帯びた、鬼の形相をした彼女が。
渡部さんが、棚の引き出しを漁ってました。必死に何かを探してます。
渡部さんは頭と左腕に包帯を巻いてました。雑に縛ってあり、赤黒い染みも幾つかあります。
なぜ、渡部さんが僕の家に?それはすぐに想像つきました。
僕は彼女に「今はおばあちゃんの家にいる」と漏らしたことがあります。
その住所を探していたのでしょう。僕の居場所を、突き止めるために。
そんなもの、お父さんがとっくに処理してしまったことなど知らずに。
僕が声をかけるよりも早く、渡部さんは僕に気付きました。
顔をあげた瞬間、僕と目が合いました。鬼と目があった。
彼女は叫びました。

「虫!」

全てを理解するのには、この一言で十分でした。
僕を「虫」と呼んだ。「岩本君」でなく、「虫」と。
なんだ渡部さん。僕のこと覚えてたじゃないか。
やっぱり罠だったんだ。僕を陥れるため、知らないフリをしてたんだね・・・
僕と渡部さんの最終決戦。彼女は罠を張り、僕を孤独に陥れた。
その結果、僕がおばあちゃんちにいることを、自分の居場所を吐露してしまった。
一回戦は渡部さんの勝ち。続く2回戦。僕は川口弟を逆利用し、渡部さんの家に放り込んだ。
黒い染みのある包帯が、痛々しくなびいてる。二回戦は僕の勝ち。1勝1敗。
次で勝負が決まる。追撃してきた渡部さん。迎撃する、僕。
勝負の行方は・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・渡部さんの勝ちだ。
包丁を握って突進してくる渡部さんを見据え、僕は自分の負けを悟りました。
包丁は、僕が川口弟に渡したものでした。
恐ろしいほどスローモーションに見えました。顔中に皺を刻み、渡部さんは怒りの権化となっています。
頭に巻いた包帯が少しほどけ、片目を覆ってました。片目を失った川口の顔を思い出しました。
彼女は両手でしっかり包丁を握り、真っ直ぐ僕に向かってきます。
歯を食いしばり、やがて大きく口を開け、叫び、
僕を刺しに来ました。

色んな人に迷惑をかけました。多くの人を、傷つけました。
できれば早紀と一緒の死に方が良かったけど、僕にそんな贅沢は許されません。
殺されるのは当然の運命なのでしょう。僕は自ら死を望み、ここに来ました。
刺されて死ぬのも悪くない。僕の身体には刺し傷があります。
その傷では死には至りませんでした。今度こそうまく、死ねるかな・・・
僕は渡部さんの包丁を迎え入れました。これまでのこと。全てにケリをつけるために。
両手を広げ、この身をさらしました。胸を張ってました。空を、見上げてました。
天井の向こう。雨降る雲の、それより向こう。行こう。早紀の待つ、空の世界へ。
・・・希望の世界へ。
自分でも信じられないくらい穏やかな顔になりました。
信じられないくらい優しい気持ちになれました。
人間らしく、なれました。僕はもう・・・虫じゃない。
救われました。

・・・・・ああ。それがなぜ。どうしてこうなるのでしょうか。
また虫に戻れと言うのでしょうか。蟲のまま、生き続けろと言うのでしょうか。
僕に死ぬなと言うのですか?答えて下さい。渡部さん!

包丁が僕のお腹に刺さる直前でした。
軽く先端が押しつけられ、少しでも力を入れたら、そのまま刺さる。
なのに彼女は・・・渡部さんは・・・
包丁を止めました。
その顔はもう、鬼の顔ではありませんでした。ゆっくりと刃を引っ込めました。
死を覚悟していた僕は戸惑いました。
彼女は、とても寂しそうな顔をしてました。憑き物が落ちたように。怒りは全く感じられませんでした。
悲しそうな。今にも泣きそうな顔。大切なモノを壊してしまった子供のように、目を潤ませて。
一筋の涙が流れました。頬を伝い、滴がポタンと落ていきます。
僕の顔を見ました。僕は何も言えず、涙を流す渡部さんを見てました。
見つめ合いました。お互い何も言えず。動けず。
長い沈黙です。
先に動いたの渡部さんでした。またゆっくりと腕を動かしました。
包丁をくるっと回し、刃を反対側に向けて・・・・
クスリと笑いました。イタズラっぽく、可愛らしい笑顔。
楽しそうに笑いました。優しく、微笑んでいました。

そして刺しました。自分のお腹を。

いつか見たような場面です。
早紀が自分のお腹を刺した、あの日記のシーン?
そうだ。そこだ。それを僕は、逆の立場で見ている。
仰向けになって倒れる渡部さん。赤い血が、宙に舞いました。
僕は彼女に駆け寄りました。身を屈め、迷わず僕は・・・・
包丁を抜き取り、傷を服で押さえつけました。
血が止まらない。救急車を呼ばなければ。
僕は立ち上がり、電話機へ。
この家の電話はまだ使えるか?受話器を取ると、ツーツーと音が鳴りました。
使える。119番を。早く呼ばなきゃ。渡部さんを助けなきゃ!
・・・・・・・・・・なぜ?
疑問が頭をよぎりました。
無意識の内に身体が動いてましたが、僕はなぜこんなことをしたんでしょうか。
渡部さんの死は、望んでいたはず。なのになんで助けるんだろう。
受話器を持ったまま、僕は決断を迫られました。
渡部さんは、このまま放っておいたら死ぬでしょう。
僕や早紀がお腹を刺させても死ななかったのは、やるべき処置をしたからです。
彼女がなぜこんな真似をしたのかわかりません。
あんなに、僕を殺したがってたのに。僕らは憎しみ合ってたのに。
短くうめき声をあげる渡部さん。
痛みに顔を歪めてはいるけど、口元は笑ってる。
渡部さん。どうして。どうしてこんなことを・・・・・・・・・・
・・・・・・・これは・・・・・・・・・・・待てよ・・・・・・・・・・・
同じだ。あの時のお母さんも、同じ疑問を抱いたはず。
自らの腹にナイフを突き刺した早紀。その理由はあまりに深く、複雑で、哀しい。
渡部さん、まさか君も・・・・・・・・・・・・・・あ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いや・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・君は・・・・・・・・・・・・・・?
僕は救急車を呼びました。
ハッキリとこの家の住所を告げ、僕の名前も告げました。
彼らが来たら、全てを話すつもりでいます。何も隠さず、僕らの因縁、全てを。
事件になるでしょう。それでも構いません。もう僕らだけで抱えるのはよそう。
二人で罪を、償おう。
彼らが到着するまで、僕は日記を書くことにしました。
食料やCDジャケットは壊れましたが、そのおかげでノートパソコンは無事でした。
だからこうして、日記を書けています。これが最後になるでしょう。
明日の僕は、どこにいるのかわかりません。日記を書ける状況にはいないでしょう。
今度はもう、逃げないから。

彼女に話しかけました。息を荒げ、助けを待つ彼女に。

「早紀」

彼女は少し顔をこっちに向けました。そして弱々しく呟きました。

「私は、美希よ」

そうか。そうだったね。
けど関係ないよ。僕は君の中に、早紀を見たんだから。
早紀は僕の希望・・・・それが、渡部さんの中に。
たった今気付いたよ。
お互い憎む対象だった。だけどそれは、孤独より遙かにマシだった。
孤独の罠に陥った時、僕はとても寂しい思いをした。
生きてる心地がしなかったんだ。自分の存在が、消えてしまったようで。
だれでもいい。僕のことを、覚えていて欲しかった。
渡部さん。これだけ長くやってきて、残ったのは君だけだ。
身内じゃない。他人で、だ。
今じゃ君だけが、僕のことを覚えてくれている。
君が死んでしまったら、僕を、「虫」を知ってる人がいなくなる。
好意を望むのは無理だろうね。だから憎んでくれてていい。
それでもいいから、僕の事を忘れないで。
死んではいけない・・・!

「美希ってね。『美しい希望』と書くの。」

か細い声で囁きました。そして少し、笑いました。
クスクスと楽しそうに笑っています。
無理しちゃだめだよ。彼らが来るまで、ゆっくり休むんだ。
それでも彼女は笑い続けました。クスクスと、楽しく。・・・寂しく。
やがて声を上げて笑うようになりました。アハハハと、とても明るい笑顔になって。
大きな声を上げようとしても、力が入らないようです。
声は小さなままです。でも、頑張ってる。
小さいけど、精一杯笑ってます。

「私が『希望』だって・・・・・・しかも、『美しい』!」

アハハハハハハハ・・・
それはどこか自嘲じみた響きがありました。
僕も一緒になって笑いました。二人の笑い声が、部屋中に響きます。
愚かな行為を繰り返してきた二人の笑い声。
幕を下ろす、最後の笑い声。
いつまでも響きます。虚しく響きます。
いつまでも、いつまでも

ありがとう。僕は彼女に言いました。
何に対しての「ありがとう」だろう。
刺さないでくれてありがとう?それとも、憎んでくれてありがとう?
いや違う。関わってくれて、ありがとう。
僕は生きてみるよ。「蟲」であっても、構わない。
だからお願いします。もう少しだけ、僕のことを覚えていて下さい。
憎んでいて下さい。・・・忘れないで下さい。
そうすれば僕も、生きられるから。
生き続けて下さい。

あるのは、絶望だけかもしれません。
望むことすら許されない。無の世界かもしれません。
だけど僕は探します。僕はきっと、見つけます。
光は君の中にある。
渡部『美希』

貴女は僕の、希望です。

いとしき


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いとしき
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えっ
ついに終わってしまったんですか?


ハノウ
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どうなんでしょう?

いとしき
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素晴らしい作品でした!

【生鮭 】
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読んでいただきありがとうございます!

いとしき
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とても遅れてしまい申し訳ございません
とっても面白かったです
素晴らしい日記でした


iwatokane1211
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ありがとうございます。次回作にもご期待下さい。

いとしき
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