近代文学をまとめる個人的メモ そのご

文学 文豪 メモ
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最高ランク : 22 , 更新: 2021/02/02 4:53:11

夏目漱石と反自然主義。



恐らく自然主義まで書いたかと思います。長らく放置していた夏目漱石先生を。



夏目漱石を語るには、彼の初めての作品より少し前から説明する必要があります。


1898年、正岡子規が「歌よみに与ふる書」というものを書きます。



正岡子規、「柿食へば」で有名な方ですね。漱石とはとても仲が良く、実は漱石というペンネームは子規からもらった名前なんです。


彼は「歌よみに与ふる書」にて、「万葉集」や「金槐和歌集」を高く評価し、古今集を「くだらぬ集にて有之候」なんて罵倒しています。


古今集を罵倒ってすごいですよね。


で、何が言いたいかというと、子規はこの「歌よみに与ふる書」で、写生論というものを提唱します。


学校の美術の授業でスケッチとかやりましたよね。あれを文学でもやりましょうよ、といったのです。


歌よみ、という言葉からもわかる通り、この論は和歌の理論書みたいなものなのですが、これを散文(小説など)にも当てはめたのが「写生文」というものです。


子規の弟子である高浜虚子などが、「ホトトギス」という文芸雑誌を中心に発展させていきます。


しかし、この写生文を完成させたのは漱石だといわれています。



事実を飾りなく書くことで、作者の体験したことを読者が追体験しているような、そんな感覚にさせるのが写生文。


漱石はもともと子規のグループで俳句をやっていたのですが、「吾輩は猫である」という写生文が「ホトトギス」に載ったことで小説家デビューを果たします。


言文一致体だけでは今日のような文学にはならなかったでしょう。


漱石が写生文を完成させたことで初めて今につながる文学が完成したのではないかと私は考えています。



正直私は夏目漱石に全然詳しくないので、作品を詳しく解説したりは出来ないのですが、森鴎外が自我の覚醒を描いたのなら、夏目漱石は自我の確立を描いているといわれています。


有名作品はいっぱいあるのですが、前期三部作と呼ばれる「三四郎」「それから」「門」や、「恋は罪悪ですよ」という言葉が有名な「こゝろ」、絶筆作品の「明暗」などはよくテストに出るので覚えておきましょう。


スタートこそばらばらで始まった漱石と鴎外ですが、二大文豪と言われるだけあって、セットで説明されることが多いです。


最初は「写生派」なんてくくられていた漱石ですが、そののち、書いているものから一定の距離を保って描くという特徴から「余裕派」と呼ばれたり、しばしば一般の人間には理解の出来ない高い理想を目指す、という言葉を使って「高踏派」に森鴎外と共に括られたりもしています。(高いところから一般の人を踏みつけるような文学)


まぁ、一般的には「余裕派」が漱石、「高踏派」が鴎外だと思っていれば間違いないです。混ぜる人は多分そんなにいないんじゃないかな。


鴎外は「浪漫主義」からのちに作風を変え、歴史小説などを描くようになりました。代表作としてよく上げられる「雁」や「高瀬舟」などは、反自然主義的作品として括られるので注意して覚えましょう。



反自然主義という言葉を書きました。


この反自然主義は、その名の通り自然主義に対抗する形で発展していった文学です。


漱石、鴎外をはじめ、耽美主義や白樺派などが有名です。



「自然主義にあらざれば文学にあらず」という勢いでブームになった自然主義の一方で、それを批判し対立した文学思潮のことを総じて反自然主義と呼びます。


まぁ、文字数もそこそこなので耽美主義と白樺派は次の機会に。


最後に夏目漱石のエピソードがうまく文中に組み込めなかったのが悔しいのでここにいくつか載せておきます。


本名夏目金之助。「I love you.」を「我、汝ヲ愛ス」と訳した生徒に「月が綺麗ですねとでもしておきなさい」と答えたというのが有名ですね。

坂口安吾の「恋愛論」の文章を引っ張ったことありましたっけ。


「今日われわれの日常の慣用においても、愛とか恋は何となく板につかない言葉の一つで、僕はあなたを愛します、などというと、舞台の上でウワの空にしゃべっているような、われわれの生活の地盤に密着しない空々しさが感じられる。愛す、というのは何となくキザだ。」
(坂口安吾「不良少年とキリスト」新潮文庫 2019年6月 16ページより引用)


西洋と日本では愛情表現にも、「love」と「愛している」という言葉の感じ方も些か違うように感じるのではないでしょうか。


だから「月が綺麗ですね」とぼかしてみる。今となっては有名になりすぎてぼかすも何もないけれど、私はこの言葉を「愛したあなたと一緒に見る月だから、いつもよりも綺麗に感じます」みたいな意味じゃないかなと解釈しています。


夏目漱石は、自宅で「木曜会」という議論会みたいなものを毎週開いていました。


鈴木三重吉や、内田百閒、岩波書店の創業者である岩波茂雄、和辻哲郎、芥川龍之介、久米正雄、松岡譲(久米と松岡は漱石の娘を巡ってひと悶着あった。)など、多くの有名人が出入りしたといわれています。



また、漱石は晩年胃潰瘍を患っており、何回も吐血し、一時は吐血が原因で危篤に陥るなどしたそうです。死因も胃潰瘍。


物書きって大変ですね……。

lemon1925kazi


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