一番好きな作家の話

文豪 文学 梶井基次郎
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最高ランク : 37 , 更新: 2021/02/06 9:13:15

志賀さんのことをどうかこうかなって悩んで、いい書き方が思いつかなかったので、先に全然関係ないとも言えない私の推し()作家の話を書きます。


みんな大好き梶井基次郎先生です。


なんで関係ないとは言えないのかっていうと、梶井先生は志賀さんのファンで、周りの人間が志賀さんのことを呼び捨てにするのすらよく思っていなかったくらい尊敬していたからです。


二人に直接の関係はありませんし、志賀さん側から梶井先生に対しての言及もないのですが、梶井先生は志賀さんに憧れていたということでいい機会だと書き始めた次第です。


文学史に組み込んで書けよって思われるかもしれないんですけど、これが難しいんだ……。梶井先生生前はほぼ無名だったから。


じゃあどうやって今みたいに有名になったのっていうのがエモエモのエモ(言いかた)なんで、オタク全開で申し訳ありませんが自分勝手に書いていきます。




梶井基次郎は敢えて芸術思潮に組み込むとするならば、新興芸術派と呼ばれるところになります。


新感覚派、モダニズム文学など、プロレタリア文学に対抗した作家たちがまとまって結成した新興芸術派倶楽部に所属した人を指します。


しかし、新興芸術派倶楽部に所属していない梶井先生は正式にそこに組み込まれている訳ではなくて、あくまでも傍流という扱いになっています。


「檸檬」という作品を読んだことがあるでしょうか。教科書にも載っている奴ですね。


梶井先生の代表作です。


彼の作品は、話の筋が面白い小説ではありません。散文詩と言われて納得できるような、すごく綺麗な文章なんです。


「雨や風が蝕んでやがて土に歸つてしまふ、と云つたやうな趣きのある街で、土塀が崩れてゐたり家並が傾きかかつてゐたり――勢ひのいいのは植物だけで、時とするとびつくりさせるやうな向日葵があつたりカンナが咲いてゐたりする。」
( 「現代日本文學全集 43 梶井基次郎・三好達治・堀辰雄集」 より引用)


京都の町の描写めっちゃいいんですよ。


私、最初この部分読んだ時、文字ってこんなに色鮮やかになれるんだと衝撃を受けた記憶があります。


この文章に出会ったから小説は美しいのだと気づけました。


小説は娯楽ではなく芸術なんだ、と言われてすんなり納得できたのも、彼の文章に出会っていたからだと思います。


少し硬いけれど、澄んでいて、美しいんです。話の筋の薄い小説が好きか好きじゃないかで大分意見は分かれると思うんですけれど。


彼の文章が、一種の奇蹟だとか、日本語の手本だとか言われるのもわかる気がします。


「梶井基次郎君は、日本の現文壇に於ては、稀に見る眞の本質的文學者であつた。」
「彼の見た世界は狹い。しかしながら底が深く、測量の重い錘が、岩礁にまでずっと屆いて居るのである。あらゆる智慧は明徹して居る。しかしながら単純でなく、海底の藻草のやうに、章魚の吸盤のある足のやうに、意地惡くからみながら、内臓で呼吸して居るのである。」
(萩原朔太郎 「本質的な文學者」より引用)


梶井先生は長く患っていた結核で31歳の若さで亡くなり、筆をとった年数も少ないため、作品数も他の作家に比べて少ない部類に入るでしょう。


新潮文庫の「檸檬」を一冊買うだけで主要な作品のほとんどに触れられます。


全集も四巻しかありません。ちなみに39歳で亡くなった太宰治の全集(私の所持している昭和30年版のもの)は13巻まであります。


ほとんどの作品は、梶井先生と仲間で立ち上げた「青空」という同人雑誌に発表され、多くの目に触れるような雑誌に寄稿したのは「中央公論」に載った最後の作品「のんきな患者」ひとつだけでした。


「中央公論」から梶井先生に声がかかったのは、梶井先生初めての創作集「檸檬」を自費出版し、それが編集部の目に留まったからです。


創作集「檸檬」は、日に日に病状が悪化していく梶井を見て、生きているうちに創作集を出版したいと彼の友人たちが奔走して出来上がったものです。


その友人の一人が今回語りたい三好達治さんです。彼は詩人で、梶井先生の一つ上。一高で知り合ったようです。「青空」にも参加していました。


もう一人は淀野隆三さんというのですが、残念ながら彼の梶井先生に関する文章はまだ一篇しか入手できておらず、今回は書けません。いつか梶井先生の全集を手に入れるんだ……。


三好さんと梶井先生は、先ほども引用した萩原朔太郎さんの文章にこう記述されています。


「ただ梶井君が、一人の三好達治君を親友に持つて居たことは、同君のために生涯の幸福だつた。梶井君と三好君の交際は、側で見てさへ羨ましいほど親密で、しかも涙ぐましいほどに純情だった。」
(萩原朔太郎「本質的な文學者」より引用)


先ほども書いたように梶井先生って早くして亡くなっています。梶井先生の亡くなった後、三好さんの残した文章が本当に、ほんと、なんというか、エモ……(語彙力)


「彼を喪ったことは私達友人にとってまた文壇にとっても、償い難い悲しみであり損失であった。」
「せめてもう二三篇彼の円熟した文章、会心の作品を遺しておいて欲しかった。」
「あの時君は元気だった、あの頃君が君の養生にもっと専心していたなら。――けれどもそのために、君はあまりにも詩神に忠実だったというのなら、然り、僕は諦める。」
(三好達治「梶井基次郎君の憶出」より引用)


「然り、僕は諦める」っていう言葉にいったいどれほどの思いが込められているんでしょうか。三周忌に書かれたこの文章だけで数時間騒げるんですけど、まだまだ出てくるんです。


二つ、三好達治の詩を引用します。


南窗集(抄) 友を喪ふ 四章 首途
「眞夜中に 格納庫を出た飛行船は
ひとしきり咳をして 薔薇の花ほど血を吐いて
梶井君 君はそのまま昇天した
友よ ああ暫くのお別れだ…… おつつけ 僕から訪ねよう!」
(「現代日本文學全集 43 梶井基次郎・三好達治・堀辰雄集」より引用)


檸檬忌
「友よ 友よ 四年も君に會はずにゐる……
さうしてやつと 君がこの世を去つたのだとこの頃私は納得した
もはや私は 悲しみもなく 愕きもなく(それが少しもの足りない)
君の手紙を讀みかへす ――昔のレコードをかけてみる」
(三好達治 「檸檬忌」)



他にも彼が梶井先生に捧げた詩はいっぱいあります。


閒花集の最初の一ページには


「この小詩集を梶井基次郎君の墓前に捧ぐ」
(三好達治「閒花集」より引用)


と書かれています。


一番上の詩の、「薔薇の花ほど血を吐いて」ってところ、頭の引き出しすごいですよね、絵画にもなりそうな表現。


いったいどんな生活をしていたらそんな表現能力が身につくんだろう。


四年たってからやっと梶井先生の死を受け止めることのできた三好さん、実は彼の死に立ち会ったわけではないのです。


結構親友の死に目に会えない作家っていますよね。


菊池寛は、何度か芥川龍之介が訪ねてきてはいたけれど忙しくて時間が合わず、車に乗るのを見送られたのが最後だったとどこかで書いていたと記憶しています。


近代文学メモでも取り上げた田山花袋は朝になったら国木田独歩の下へ行こうと思っていたのに朝になる前に死去の電報が届きました。


立ち会ったというエピソードも見ますが、やはり最後に会えなかった後悔というものは読んでいる側にもなにか悲しい思いが届くので印象に残ります。


三好さんは、梶井先生の死に際、自分も結核で吐血して入院してしまいました。


「そうして私が彼の僑居を辞そうとすると、彼はそれが幾十日ぶりかだと言いながら静かに下駄をつっかけ私が手を挙げて制止するのもきかず、門外十間余りのところまで私を見送ってくれた。ここで失敬する、そこまで行きたいんだけれども、そう言って彼は彳ちどまってしまった。私はもう一度彼を病床まで見送ってやりたかったが、再会を約して急いでバスに飛び乗った。私がふりかえった時彼はまだそこに彳ちつくしていた。これが彼との最後の別れであった。」
(三好達治「梶井基次郎君の憶出」より引用)


再会を約していたけれど会えなかったって言うのが本当に悲しい。


私は親友と呼べるような人間がいないので無二の友人を亡くしたことはないのですが、そこそこ仲が良かった友人が、学校が分かれた後に亡くなったと人づてに聞かされた時の、不思議な喪失感を今でも覚えています。


また会えると思っていた人間がいなくなってしまうのは、なかなか実感が持てないものでした。


「かねがね予期はしていたもののさて彼の訃音に接してみると、どうにもじっとしてはいられないような気持になった」
(三好達治「梶井基次郎君の憶出」より引用)



梶井基次郎の最後について、ご母堂が綴ったのを中谷孝雄さんが手を加えて雑誌に載せたものがあるらしいです。(私はまだ探していなくて、どれがそうなのかわからないのですが、残っているのであればいつか読みたいと思っています。)


それについて三好さんは、


「私には到底それを読む勇気はなかったので当時読まないままに過して、今日もまだ読んでゐない。今も読みたくはない。」
(三好達治「梶井基次郎」より引用)


と述べています。


受け入れてはいるものの、直視するにはつらかったのでしょうか。


この「梶井基次郎」という文章は梶井先生をべた褒めしていたり、エピソドが乗っていたりする文章なので興味があればぜひ探してみてください。


(白樺の影響を受け、努力を工夫を多面的に加えている。)
「殊に「橡の花」と「城のある街にて」に於て、その濃度が著しく、この二作はそれら初期の作品の中の二佳作をなしてゐて、感銘が甚だしい。私は実をいふと志賀文学よりも一層よろこんでこの二作の方をとるだらう。」
(三好達治「梶井基次郎」より引用)


これってすごいことなのでは、と思うのですがどうなんでしょう。


志賀直哉って「小説の神様」と呼ばれるくらい文壇での影響力が強くて、この「梶井基次郎」が書かれた当時もおそらくは小説の完成系としてみんなお手本にしていたと思うんです。


贔屓目もあるかもしれませんがそれを超えるとか沸きますよね。


「橡の花」は手紙形式の文章です。


「城のある街にて」は私も大好きです。


「盥の水が踊り出して水玉の虹がたつ。其処へも緑は影を映して、美しく洗はれた花崗岩の疊石の上を、また女の素足の上を水は豊かに流れる。」
(「現代日本文學全集 43 梶井基次郎・三好達治・堀辰雄集」より引用)


の部分が本当に爽やかで、光り輝いていて。


いやぁ……好きです。


三好さんはこんなにべた褒めするくらい彼の文章が好きだから、そして友人も同じ気持ちだったから、二人で創作集を作り、今日梶井先生がこんな有名になるまで名を広めるきっかけを作ったんですね。



ありがとう。梶井先生のおかげで、そして梶井先生の文章を遺そうと奔走したあなた方二人のおかげで私は近代文学を好きになりました。


気づいたら5000字近く書いていました。


正直まだまだ書き足りないです。だってまだエモい関係性の一部しか書けてない。


作品のいいところ紹介したいし、一部だけじゃなくてもっと書きたいです。


でもさすがに長いのでここらへんで切ります。


テンションぶちあがったまま書き連ねたのでおかしい部分いっぱいあると思いますがご容赦いただけたら幸いです。


またいずれ。





参考文献

・「現代日本文學全集43 梶井基次郎・三好達治・堀辰雄集」 筑摩書房 昭和29年5月
・梶井基次郎「檸檬」 新潮文庫 平成15年10月改版
・三好達治「閒花集」 四季社 昭和9年
・青空文庫
・wikisource

lemon1925kazi


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